激しい感謝の応酬
タクシーの運転手のお爺さんと「助かりました、今日は全然お客さんいなくて」「こちらこそすぐ見つかって助かりました」と激しい感謝の応酬。
今帰宅しホットミルク中。ちょい頭痛。
明日も朝から修羅場、想像するだに気が滅入りそう。しかし理はこちらにある。自分だけなら我慢もするが仕事なのできちんと主張してこないと。パウロではないが、何をどう言えばよいかは聖霊が。
私が反省すべきは、休日の自分の動けなさへの対処の不十分さ。半分寝たきり(後の半分の半分は踊っている)。
寝たきりでネットに埋もれた物語たちに深く耽溺しては倦んでいる。
私をどうか長持ちさせて用いてください。
あと、ロボットダンスもう少し上手くなりたいです。でもこれは比較的どうでもいいです。
夜
既に翌日の時間。まだ一人職場にいる。「あー」と声を出して煮詰まったため息を吐く。仕事を引き受けすぎなのだろうか。私が辛いとかだけでなく、私のやり方や意欲次第の問題ではなく、仕事がまわっていかずに人に必然的に迷惑を掛けてしまうレベルの量なのかもしれない。だとすれば根本的に考え直さなければ。
それなりに仕事は速いとは思うのだが(今日も同僚が私のスピードに驚嘆していた)、段取りの部分でもっとどうにかできるかな。できないかな。
ため息の後、意図的に気の抜けた楽天的な気分になろうと努める。
少し「小さな旅」のページを開いてBGMを流す。エンドレスではなくてかえって感じがよい。
終電はとうに過ぎている。まだもう少し仕事をして帰る。タクシーの運転手さんと話すのは苦手、特に個人タクシー。行き先を伝えたら後は寝かせて欲しい。
ブチャラティの名言を思い出した後(若いなと自分で苦笑する)、自滅しては役にも立てないと自戒する。長持ちする歯車でありたい。健康第一と思わなければ。
ネットから
ネットから忘れ去られたいな、とさっき漠然と思っていた。私の暫定的なソリューションは、ツイッターを更新せずブログを更新するという方針。
なぜそうなるのか自分でもわからないが、「ネットで忘れ去られたい」という言語化された表現がおそらく少しずれているのだろう。
ツイッターだとレスポンスをもらいやすいがために、ガタメキラ(と脈絡なく書いてみる)、孤立しづらい。
それが例えばほらこのはてなダイアリーでは、見るからに孤立している。
コミュニケーションを目的としない記録には、まさにブ「ログ」が向いている。
コミュニケーションとは別のところで、思考に言葉という形と命を与える場として、ブログを再び利用したい。
この記事は携帯で書いた。パソコンには一日に十数時間向かっているが、プライベートなことを書くタイミングがない。
ブログは私の社会的地位を離れプライベートを取り戻す場としても機能するだろう。
収入が加速度的に増え、忙しさにつれて心の平安が脅かされている気がする。
私が今とは別の弱さを持っていたあの頃と同じように、あるいは違う形で、書くことが私を保ちますように。
はたらけど
はたらけど はたらけど
猶わが仕事楽にならざり
そっと屁をする