終電
ほんとうの終電ではたどり着かない
ほんとうの終電ではたどり着けない
我が家
途中からタクシーに乗ってゆく
せこさとか
人を怒らせてしまった。その人のせこさが明らかになるようなことを私がしてしまったからだと思う。周りに聞いてもそうだと言う。
別に堂々としていてもよいものを、怒るのは、やはりせこさの現れだったからだろう。
理不尽だと思うが謝った。怒るのは理不尽だ、と知らせてやりたいけれど、それ自体が、本人のせこさをますます気づかせてしまうことになる。追い詰めてはいけないな。
省みて自分が高潔なわけでもないことを考えると、特に指摘もせず、謝ったまま怒らせておこうと思う。
イエスの様々なユーモラスなたとえ話と教えが頭に浮かぶ。梁と塵、借金の棒引き。
たとえ話の中での単位は忘れたが、一里一緒に来てくれという人に二里一緒に行ってあげる、そういう形での解決を提示できていると思う。ただ、やりすぎて負担に感じさせるのはやめておこう。
今日はルートを少し変え、花屋の前を通って出勤。
ときどき
ときどきおいしいものを食べて、ネットでは興味深い読み物を読み、等、等、なかなか幸せな生活だと思う。
人は
人はだいたい、親切にしたいという欲求があるんじゃないか。
ふと
ふと気づいたのだが、ひょっとしたらもう人生の半分ぐらいを生きたのかもしれない。
何も為していないな。
無為に苦悩して、ときどき冗談を言って、茶碗を洗い洗濯し、そんなぐらい。まあ、仕事の成果が本に載ったりとか、いくつか小さな足跡は残したが、あまり意味を感じない。
知ってる人や知らない人を怒らせたりもしたけど、笑わせたり喜ばせたりもできた。そういうささやかな記憶が救いだな。
と書いていて、理不尽な怒りや憎しみをぶつけてきた人たちのことを思い出すと、自分がかなりましに思えて楽。あまりよろしいことではないが。
ご同輩たち、まあせいぜい頑張りましょうや。
湿気
湿気が強いが空調ががんばっている