神様まだですか


 「これらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」という聖書の箇所がある。

 今日、嬉しい感謝のお手紙が届いた。その手紙の書き手はそうした「最も小さいもののひとり」にあたりそうな人だ、とふと思い、上の聖書の箇所を思い出した。

 今後もう何の利害関係もないだろうから、単純にお気持ちだけで、あそこまでの内容を書いて送ってきてくれたのだろうと思う。

 私は、私がひとつのきっかけとなってイエスと出会ったんじゃないかなという人が2人ぐらいいたし、こうして「最も小さいもののひとり」のために力になれた(と私が思える)ことが何回かあったし、自分としてはもう十分やるべきことをやったんじゃないかと思っている。友なき者(と括るのは乱暴だが)と共に何度も泣いた。これでもう十分でしょう神様、後悔や恥もあるけどそれは私の限界だった、もうこの世のつとめから解放してほしいと感じている。

 でも、まだ命があるということは、まだこの現世(讃美歌の読み的には「うつしよ」)でやるべきことがあるんだろうと思う。自分ができる範囲について、私が過小評価してしまっているのかもしれないけど、私としては過大評価しないでください神様と思っている。

 ファンタージエンの「帝王たちの都」でもない、ある人の表現を借りて言えば「シリウス」に、風船で飛んで行ってしまいそうな私を何かが地上につなぎとめていて、私の今の境遇に対する一般的な理解からすればそれは何かというのは明白なのだけど、その明白な何かとは違う別のものを今意識がフォーカスしている。
 それは、ひそやかな、しかしやや確固とした何かの意志とでも言うべきもので、この私の自我とは少し異質な何かのようにも感じる。(今の私とは違って)ひどく傷ついていたときの私を支えていた何かと同じかもしれない、「かもしれない」というのは修辞でなく。