過去の記憶


 久々に寝言ポエムみたいなものをちょっと。


 そう遠くもない過去の記憶が鮮明な映像としてよみがえるとき、その過去の地点から現在の自分を見て、私はいったい何をしているんだろうと思うことがしばしばある。

 何をしているというわけでもない。今もそれなりにがんばって生きている。そのがんばりがいじらしくもあほらしくもありちょっと泣きたくなる。


 まわりを見るにもっとよこしまに、あるいはわがままに「がんばって」いる人たちもいて、そうしないあるいはできないのは自分の変な潔癖さではあるが、もろさではなさそうだ。


 まったく関わりを持たないで済むのなら、忘れることによって許すことはできるんだろうとも思う。実際にそうして忘れ、許した人たちもいる。たぶん彼らのことはきちんと軽蔑することができたのだろう。

 許せないというのとは違う。人はこうも醜くなれるということを見せつけられた衝撃の余韻。もっとも、そんなことはとうに知っていたはずだった。


 仕事に、公的私的な人付き合いに充実している中、ふとそうしたエコーが過去から届いてくる。


 こうしてもいられない。明日の行き先への道順を確認し、メールを2、3通書かなければ。