怒り
それは理不尽だろという怒りに苦しむ。苦しむのは、事実を淡々と伝えることすら控えているから。
言えばひどい内容になるが、それはもともとひどい事態だから。どう表現しても同じ。遠回しにすれば嫌味になる。
きゅう永漢が、どうにも腹が立っても黙って寝ると言っていた。中略。そういう段階のさらに手前で抑制している。
主、イエスの祈りを思い出す。彼らは自分のしていることがわかっていないのです、だから神さま、彼らを許してやってください。
気が楽になる。神さまが許すのに、自分は腹を立てるなんてことができるわけがない。神さまが許すなら仕方ない。
……ただ、吉野弘?の「夕焼け」的な問題は残る。譲れば譲るほど構造は強化される、世界に公正を求めない人たちによって。
あおおにはあかおにに手紙を残した。
しかし残さないほうが、さらにあかおにに対して思いやりがある行為だった。手紙がなければ、あかおには、黙って去ったあおおにをいぶかったり憎んでいれば済む。自分の心ない行いに気づいてショックを受ける、ということを経験せずに済む。
だが、手紙を残したあおおにを責めることはできない。
私はその手紙すら残すまいとしている。と同時に、自分のしていることがわからないままでいてほしくないとも強く思う。
そして、それを伝えるのもはや私の責任ではない。たぶん。
おっさん(神さま)、あとは頼んだ。おっさんに任せれば安心だからさ。おっさんがいいと思うようにしてください。よろしく。何とぞ。私は寝ます。