なんか


 ネットって好意も悪意も思わぬところから飛んでくるのがおもしろい。

 まあネットに限った話じゃないし、思わぬところというのも厳密にいうと違うんだけど、まあ、このタイミングにこの人からというのは予測がつかないので。とくに好意のほう。

 予測がつくとかうそぶく人は他人の内面をわかっているなどと思い上がってる自分の内面に気づいた方がいいと思う。まこれはどうでもいい。

 よく火のない所に煙は立たないとかいいますでしょう。だけど煙に見えたのがスプリンクラーだったりとかって実際はよくある。つまり方向性が逆。じゃあなんでスプリンクラーが作動したかというと、よその火を消すためとか。人の心はわからぬものってこと。ややhasenkaさん文体がうつったか。

 あとなんだっけ、そう、私は基本的に人の好意はあてにはしてない。自分の(将来の)善意すらあてにしてない。それでもって無用な怒りや落胆を予め回避できてると思う。
 代わりに心がけて念頭においているのは、現在の自分の行動が是か非か。この是非の判断のプロセスにありとあらゆる要素を投入し、おいしいシチューをぐつぐつ煮込む。どんな要素かというと、相手の気持ちへの(過剰にならない適切な)思いやりから、すべての尊重すべき利益へのメリットとデメリット、自分の能力の限界とその行為による今後の伸びしろ、将来の全プレイヤーへの影響まで。もちろん判断は完全ではないので、反省してフィードバックして煮込みに活かす。話がそれた、ソレテナーイ。流れが切れた、キレテナーイ。

 でもまーニュアンスがずれたな、ずれてない?(前髪の生え際を気にして) つまり、相手の中にある(はずの)、誰でも小指の先ほどは必ず存在するはずの、性善説の全根拠の種みたいなものに語りかけようとするけれど、相手から必ず好意的な反応が返ってくるものとは期待しない、みたいな。
 予断や偏見を排除するというのはプラス方向についても言えるわけで、この、恐れも期待も抱かず色眼鏡を取り去っておこうという姿勢は、自律訓練法みたいな独特の難しさがある。難しさがあるけれどなかなかいいと思うよ。
 一応補足しておくけど、完全に色眼鏡を取り去る=予測を一切行わないというのは日常生活を送る上で不可能だしそこまでは勧めてません。他人や自分に対する先入観はできるだけ取り払おうと思っているぐらいでちょうどいいぐらいなんじゃないかなってこと。

 何が言いたいかというと、いやホントこのかたからこのタイミングでこんな好意のしるしが、とびっくりすることが多い。web拍手については(これはどなたからかわからないけど)毎日不思議がってる。自分が毎日不思議がってるのも含めてやや不思議。「誰?」「なんで?」という感じ。送ってくれてるのはたぶん知らない人が多いっぽい。と思っておく、よくわからないのでとりあえず。
 あとweb拍手、システムの詳細な説明は省くけど、複数回連続で拍手送ってくれる人が多い割にはメッセージ付きのことが滅多にないのも不思議。単にこちらが読めてないだけとか?(今はリニューアル時にテストしたのでメッセージ送れて読めると確認済み)

 ほんま世の中不思議なことばかり。「すこし ふしぎ」(藤子不二雄的SFの定義)。センス・オブ・ワンダー常に発動中ですよ。