ながぐつ
長靴を履き傘を差して仕事から帰る。
雨は面倒だが嫌いではない。
長靴を履くのも嫌いではない。
晴れた日に
気持ちよく晴れている。出張先のチェーンのパン屋で昼食をとった。
一人なので、それほど混んではいないものの居心地の悪い席を選ぶ。すぐ目の前が太い柱。
ここまで居心地の悪い席にしなくともよかったかな、所詮自己満足だし、まあいいか、と思いながらアイスカフェオレを飲んでいると、左手から16、7の車椅子の少女とその母らしい人がやって来た。帰るところらしい。
あまり視線を向けずそれとなく気を配っていると、通路が狭くなかなか出られないでいる。私の後ろを通るかと思い椅子を寄せたが、元々の通路を通れたようだ。
車椅子の後ろにかけているピンクのタオルがかわいらしかった。車椅子を押す女性の姿を見送る。その女性のご苦労がしのばれた。
「私はリア充ではない」
帰宅中。
身近な人に「リア充」という概念を教えた。
リア充は「リアル」(ネット外)の生活が充実しているのであまりパソコンを使わずネットもあまり見ない。
リア充は人と接するのが苦にならない。
リア充は明るく運動が得意な傾向にある。
すると「リア充の逆は何と言うのか」と質問された。
リア充の逆は、例えばネット充ではない。少し考えて私は言った、「私のようなリア充の逆を非コミュという」。非コミュの概念も軽く説明する。「私はリア充ではないので必然的にネットに閉じこもった。リサーチが素早いとすればその副産物であろう。また、書籍の中の世界にしばしば逃避し夢想する。リア充にはその必要がない」。
そうした会話がしばらく前。その後の会話からして、存外に各概念を的確に理解しているようだ。
実際の口調は上と異なる。
しかし人から見ればリア充ど真ん中とも評価可能か、と気づいて苦笑する。
そこでひそかに心につぶやいていわく、
リアは充でも心はネトオタ
一仕事
一仕事終えて急に再び宿酔を感じる
小学校では、あれは何の球技だろうか跳ね回る子ら
まばらな
頭上近くに桜の花。街路樹の、背の小さな桜に気づく。
見ると、まばらな街路樹の中桜はその木だけだった。