晴れた日に


 気持ちよく晴れている。出張先のチェーンのパン屋で昼食をとった。
 一人なので、それほど混んではいないものの居心地の悪い席を選ぶ。すぐ目の前が太い柱。
 ここまで居心地の悪い席にしなくともよかったかな、所詮自己満足だし、まあいいか、と思いながらアイスカフェオレを飲んでいると、左手から16、7の車椅子の少女とその母らしい人がやって来た。帰るところらしい。

 あまり視線を向けずそれとなく気を配っていると、通路が狭くなかなか出られないでいる。私の後ろを通るかと思い椅子を寄せたが、元々の通路を通れたようだ。

 車椅子の後ろにかけているピンクのタオルがかわいらしかった。車椅子を押す女性の姿を見送る。その女性のご苦労がしのばれた。

睡眠不足


 睡眠不足で出勤。やや暗い気持ちである。

 しかし今朝の緑茶もおいしかったな。

 思うに、私は一つ一つの案件について手早くやろうとしてないんだろうな。そういう姿勢にはいい面もあれば悪い面もあり、世の中には美味い麺がある。悪い面は慢性的に長時間労働になること。

 しかし早死にしたくはないので上手く回さないと。なんだ坂、こんな坂。

昨日に続いて


 昨日に続いて今夜も仕事で午前様。
 今夜は終電に間に合わずタクシーの車中。車酔いして今気持ち悪い。

 わだば長生きする!という決意をしているので、現状はマイウェイに反する事態。

 ただ、仕事をがんばる!という信条には反しない。


 任務は遂行する、仕事の関係者は守る、自分の健康も守る。ブチャラティよりも困難な職業だね。

 『女には向かない職業』という小説を思い出した。

「私はリア充ではない」

 帰宅中。


 身近な人に「リア充」という概念を教えた。
 リア充は「リアル」(ネット外)の生活が充実しているのであまりパソコンを使わずネットもあまり見ない。
 リア充は人と接するのが苦にならない。
 リア充は明るく運動が得意な傾向にある。

 あなたはリア充である。
 私はリア充ではない。

 すると「リア充の逆は何と言うのか」と質問された。
 リア充の逆は、例えばネット充ではない。少し考えて私は言った、「私のようなリア充の逆を非コミュという」。非コミュの概念も軽く説明する。「私はリア充ではないので必然的にネットに閉じこもった。リサーチが素早いとすればその副産物であろう。また、書籍の中の世界にしばしば逃避し夢想する。リア充にはその必要がない」。

 そうした会話がしばらく前。その後の会話からして、存外に各概念を的確に理解しているようだ。

 実際の口調は上と異なる。


 しかし人から見ればリア充ど真ん中とも評価可能か、と気づいて苦笑する。

 そこでひそかに心につぶやいていわく、


 リアは充でも心はネトオタ