Aのこと

 Aと呼ぼう。年下の知人、あるいは友人といってよいだろうか。Aと歩きながら少し話した。

 「ぼくや友人はほんとにどうしようもないんで、(左近)さんに軽蔑されていないか心配です」とA。Aは、既婚だが婚外で性的に放埒な日々を送っているという。Aは機会あるごとに私に報告をする。相手たちとの会話のおもしろおかしい顛末。私はそれを笑って聞いている。
 「私は寛容なので、そういうことで軽蔑するということはありません」と私は答えた。そして、そういう怖れを内心抱かせていたのかと内心反省した。しかし、私が反省する必要はなく、Aにもそういう「普通の」感性があったことを喜ぶべきなのだろう。

 Aは以前、酔ったとき、私とも性的関係を持ちたいと示唆したが、それは断った。

 共通の知り合いの中では、Aと私だけが読書をする。小説を読む。しかしお互い本の話をしたことはほとんどない。

 Aも、私の孤独とは違う孤独を抱えているのだろうと思う。孤独は言動の口実にはならない。しかし、異質な行動様式の人間に対するかすかな共感のよすがにはなる。

 彼の孤独に気づかされた昨日のあの会話の後も、Aに対する接しかたは変わらないだろう。むしろ少し距離を置くかもしれない。共感は人の判断をときに曇らせるから、私は自分の共感をも冷静に見つめる。