論語という空白


 「論語読みの論語知らず」という言葉がある。論語をよく読んでいるが、頭の中で精緻な解釈をすることが目的となってしまい、かえって論語の精神の実践からは遠ざかってしまっているような状態をいうのだろう。論語によってみたされるのではなく、いわば論語という空白がその人の中を占めているようなものだ。そのような事態は避けなければならない。

 だからといって論語を一切読まないのも人生において一つの損失といえる。アジアの数国の文化の共通基盤であり、生活の実践的智恵であり、同時に先人の個人的感慨でもあって、生きる上で豊かな慰め、励ましとなる。論語をまったく知らない、いわば論語の空白(欠如)も、もったいない話ではある。

 まさにそのようなテーマを扱ったドラマが昔あった。

 タイトルもそのまま「ロンゴ・バケーション」という。