まだ


 起きている。午前1時45分を回った。ベッドには入っている。


 デズモンド・ツツはなんと言っていただろうか。「難しいところだが、許す前にまず相手が謝ることが先にくる」みたいなことを書いていたように思う。長年のアパルトヘイトの悲惨ののちの、和解のための委員会のような団体をリードし、たしかノーベル平和賞を受賞した彼でさえ、そういう。


 謝るつもりがなく、むしろこちらに憎しみやさげすみを向ける人たちに対しては、どうしたらいいのだろう。あの半笑いで顔を背けた姿を思い出す。

 さしあたりはもうできるだけ関わりたくない。存在すら忘れたい。


 愛の反対は無関心、と都合よくマザーテレサの言葉を引用して、自分(その人)に関心を持ち続けろという人もいた。でも、忘れることによってゆるすというのも、ひとつの愛だろうと思う。

 今の私のありようをひとつのプロセスとしてとらえたい。


 別の記憶に苦しむ友人のことを思い出した。時間が解決していない、それは「まだ」ということかもしれない。そうでなくとも、つらさとともにでも人は生きていく。

 Kをまた読もう。祈りもまたひとつの方法、あるいは、祈りについてのひとつの説明がK。


 2時をすぎた。


 久しぶりに更新する。私はそれなりに充実した毎日を送っています。
 大きく世界に関わっていくか、小さくニーズに応えていくか、今後の方向性に少し迷っている。自分の強みとタラントを活かすならたぶん前者。自分の価値観に合うのは後者、しかしそれはヨナのような逃げだという気がする。タラントを土に埋めるのは忠実なしもべのやることではない。

 もっと完全に潰れていたら楽なのに、しかし、しがらみでそうもいかない。


 もっと気楽に生きているかたのことも思い出した。ああでいいんだろうな、選択の問題は残るけれど。


 2時半になった。明日も人と会う。もう寝よう。