あれでよかったのだけど


 嫌なことを思い出した。が、当時自分のとった行動はあれでよかった。驚いたが、指摘も抗議もしなかった。する気になれなかった。そういう意味での冷たさが必要なときもある。

 そういう冷たさが何度も必要になって、見切りをつけた。ほんとは一度で十分だった。根拠のない侮蔑に対して、こちらは礼儀と節度を守った。べつにうれしくはない。それ自体に価値はない。通じなければ意味がない。


 私がつらいのは、嫌な目に遭うことではなく、反省できない人のことは見捨てなければいけないということ。ロールプレイとしての怒りも役に立たないとき、むしろ逆上させてしまうとき、肩をすくめてさよならを言うほかない。いや、肩もすくめてみせない、怒らせたくないから。弱い人をむやみに刺激しないのも優しさ。
 相手のために祈り、あとは忘れ、また思い出しては祈る。相手の行為の意味を少しは伝えるべきではなかったかと悩む。しかしあれでよかったのだろう。


 他人の器の小ささ、底の浅さを認識するのはつらい。
 信頼に値しない人もいる。信頼していたからこそ、裏切られてそのことがわかる。信頼したいからこそ、その人を信頼できないのがつらい。

 ステレオタイプでしかものをみることのできない人には、とくに誤解を解こうとは思わない、解こうとすることはその人の頭の足りなさを指摘することになってしまうから。それでもごく少数の、事情をよく知る人は、当の私よりも腹を立てたりしてくれている。私には神だけでなく数人のそういう人たちがいる、それ以上多くを望むべきではないのだろう。