遅ぇ暮


 ヨックモックの菓子詰め合わせを頂いた。

 ヨックモックというと皆さん何を連想されますか。私は煙のイメージ。煙といってもアラジンの魔法のランプみたいな。後樫の木モックでしたっけ、ピノキオもどきのあれ。

 イメージバトン、ちゃんと書きますのでもう少々。

 このところ一週間が経つのがはやいはやい。♪ビュワーン ビュワーン ビュワーンと(ジャスラックがらみで引用が超ひかえめ)。

 ネットの話題は全然追いきれてないんだけど、やさぐれてるかたや、知ってこちらがやさぐれるような話もチラリホラリのマイスター・ホラのチラリズム

 なんというか。以前に比べて自分の感性が他人に対してものすごく閉じているのを感じる。

 業務その他ふだん接する方たちからはこちらがたじろぐほど感謝されることが最近でも多いので、そこから逆算すると、別に不親切になったというわけではないみたいだ。

 共感能力が低下したというわけでもたぶんない。むしろ前からその部分は私の場合(少なくとも表出を)相当控え目にしたほうがいいということはわかっている。

 たぶん寂しさとかそういう感情が完全に欠落してきたんだと思う。

 もちょっというと、他の人の寂しさに寄り添い続けることの難しさを知ったというか。もちろんそんな考え方がそもそも傲慢なわけで、以前は欲張りだったんだろう。ただ結果として一般的な水準よりもはるかにコミュニケーションへの内的ハードルを高くしてしまっているであろうことはどうなんだろうと思う。

 具体的な話に引き戻すけど、例えば「咳をしても一人」という句、あれは「実に爽快だ!」という方向性の解釈にしかいまは共感できない。正しいとかかくあるべしとかでなくて。

 色々書いたけど、たぶん、知人とか全然知らない人の状況に思いをはせて悲しむその悲しみを感じすぎまいとして、何か麻痺させるというシステムが働いているんだと思う。似たことは何度か書いてきたけど今回は色々思い当たる。

 でもその余波として望ましくない結果も招いているし(自分の中での一概に高すぎるハードル)、こうして現在の傾向に自分で疑問を抱いてもいるので、このまま固定されるわけでもなさそう。

 結局よくわかんない。