賢者の贈りもの


 誕生日のプレゼントは前後半年間受付けております。

 と、ときどき書いているせいか、少しずつあれこれ頂いている。


 プレゼントって、物も嬉しいんだけど、それを選んでくれているときや贈ろうと思っているときの心持ちが想像されてそれが何より嬉しい。

 なぜって、私がプレゼントを選ぶときは、喜んでいる相手の様子を想像しながら楽しい心持ちで選んでいるから。

 つまり選んでいるときの楽しさを想像して、もらう私もそれに共感しているということなんだろうな。

 もちろん自分が贈られる相手となっているということも大きい。なんでかというと、相手が(贈る)喜びを感じるきっかけとして、自分が役に立ったから、かな。


 プレゼントにはとかく、相手に好意を持ってもらおうとか返礼の期待とか、煩わしいものがつきまとうけど、私はそういうのはなるべく考えないようにしている。
 そういう、要求としてのプレゼントはした記憶がないし、されたとも思いたくない(もらうときは素直に喜んで受け取りたい)。
 あげたのにくれない、祝ったのに祝ってくれない、と腹を立てるぐらいなら、最初から何もしないほうがいい。

 ただ、私にプレゼントをくれた人は、私からのプレゼントも喜んでくれそうだから、あげるチャンスを狙っている。

 お前ら首を洗って待ってろよ!!


 あと、まだまだ誕生日プレゼント受付中でござるよ!
 去年の分とか来年以降の分も歓迎します。還暦祝いもご予約うけたまわっております。
 来年以降生きてなかったとしても、その分のご好意は今きちんと受け止めますので無駄にはなりません。


 後半、わやくちゃにしようとしたらなんかいじらしさが出てきてうけた。

 でもそれもなんなので、好意というのは難しいものですね、と締めくくっておく。