おなかが

 へってるんだかへってないんだかわからないのさ〜

 久々にクリープ入りのコーヒー飲もうかと思いキーヤキッス、空腹の胃にわるそう
だと気づくこの夕べ。


 全然関係ないけど、今ふっと思ったこと。つらい中を通ってきた人の中には、(一
見)タフになった結果、人の痛みに対しても鈍感になって、平気で人を傷つけるよう
になってしまった人も多い。残念ながら。

 でも例えば大塚幸代さんみたいに、繊細な思いやりのセンスを保っている人もいる
。嬉しいことに。

 その繊細さに身を切られるように感じるのだろうか、ひどい言葉を投げつける人も
いる。

 そうしたひどい言葉にあまり傷つかないでいて欲しいのだけど、
〈繊細にみえない(一見)タフな人も、じっさいにはそうした言葉を投げつけられる
と深く傷ついている〉ということを考えると、
あまり傷つかないで欲しいというのは無理なことかもしれない。

 正確にいうと、ひどい言葉に傷ついても、〈自分を肯定的に受け止め応援してくれ
ている人たちもいる〉ということを思い出してまた立ち直ってくれると、私もうれし
い。

 クリスチャン的には〈たとえ肯定的に受け止め応援してくれる人がいないように思
えても、少なくとも、神はあなたのことを愛している〉と伝えてあげたいけど、
そういう言葉はなかなか通じないし通じるとも思わない。だから言ったことない、生
まれてから何回かしか。


 話が飛ぶけど、そういうとこで恋愛に頼り、特定の個人に自分の存在価値を委ねよ
うとする人は多いように思う。
 そんなのは無理。新興宗教と同じで、特定の個人は絶対的信頼に値しない。
 じゃあお金かな。と、売春をする人も多い。非合法な手段で儲けようとする人も多
い。でもお金はただの価値代替物、いくらあってもお菓子とかの個別の価値の集積と
かにすぎない。そうしているうちにとしをとっていく。
 かといって茨木のり子的に「よりかからず」とうそぶくのは、自分の虚栄心により
かかっているただの独善。

 だから目で見えない絶対者、全ての価値の根源たる存在を想定し念頭におくのは、
消去法的にもまた実利的にも優れたやりかただとは思う。

 そこのところで日本は〈共同体からの評価〉を価値基準に置いているから、「空気
読め」という命令規範が無前提に通用するんだろうな。その価値観を共有しない例え
キリスト教に対しては、踏み絵拷問。「一神教は自分の考えを押し付ける」と言い
つつ、無自覚に多神教なる日本教的世界観を押し付ける。鏡を見て自らを罵っている


 話が天文学的に飛躍して恒星間ジャンプすら可能な未来世紀ブラジルになってきた
のでこのへんでやめとく。お茶づけが食べたい。